Shiraishi Art Stageは富良野塾(倉本聰塾長)出身の白石雄大主宰の実践的演技指導スクールです

将来芸能界を目指す方、プロで活躍されている方、舞台表現を身につけたい方に演技の考え方、役作り、台本の理解の仕方、実際の動きなど、分かりやすく丁寧に指導します。すべてのクラスを本番に向けてのレッスンとします。

白石雄大主宰の実践的演技指導スクール

演技について考える(1)|白石アートステージ|白石雄大

演技をする。とは一体何をするのか?

「人が人を演ずる」「自分が他人になる」
ではどうすれば演技になるのか?
台本にある自分の役のセリフを言う?
それでは自分が自分として、セリフを言っているだけ。
いわゆる「セリフは聞こえるが、何をしているか分からないお芝居」にしかなりません。
ではどうすれば良いのか?
あらゆる角度から演技に対して解説していきますが、
まずは具体的に舞台の上、もしくは稽古場で一体何をしたら良いのか?
から解説して行きます。

人が人を描くにはまず「見る、聞く、話す、歩く(動く)、止まる(形を作る)」
この5つが基本動作となります。
その人物は「どう見て」「どう聞いて」「どう話して」「どう歩いて」「どう止まるか」、
あらゆる想像力を使って、その人をイメージすることが大切になります。

これに正解はありません。(演技はここがやっかいですね。)
この5つの基本動作を意識化しコントロールする。まずはここから始まります。

そしてこの5動作にインナーボイス(心に想う事、心の声)が加わり、
それが観客に理解された時に観客は笑ったり、泣いたり、感情移入し心を動かされます。
このインナーボイスが役の感情です。このインナーボイスが役の性格です。
そしてこのインナーボイスがどうすれば観客に伝えられるか?
これを皆様と共に学んで行きます。

まずは始めに、稽古場に入る前の心得や、
稽古中に注意することの基本中の基本からお話しします。

演技をする事とは、役のインナーボイスを観客に行動で見せる事です。
しかし多分にプロの役者でも本人のインナーボイスが見え隠れすることがあります。
役者本人のインナーボイスが聞こえる状態、これが「状態異常」です。

「緊張、不安、あせり、気負い、気おくれ、怒り、恥辱」など、
役者本人の状態が観客に見えてしまう事が「状態異常」という現象です。
特別な事ではありません。役者本人の心の中にある、様々な事柄が要因となります。
稽古場を休んだり、遅刻しただけで、この「状態異常」は「気おくれ」として起こります。
むろん私生活の感情を、そのまま稽古場に持ち込むのは「厳禁」です。
稽古場内での恋愛も「状態異常」を起こすので注意が必要です。
恋愛事態を否定するつもりはありませんが、
稽古場内の恋愛がすでに「状態異常」であることの認識が必要です。

稽古中でも「状態異常」は常に起こります。
演出家の言う通りうまく出来ずに、
読んでもいない台本を見つめ落ち込んでいる様子も「状態異常」です。

対応として、まずは自分が「状態異常」に陥っているとの自覚が必要です。
殆どの人は「状態異常」であるのに、今心にある思いに捕らわれている状況をよく目にします。
「状態異常」は誰にでもすぐになります。
ですので思いつめずに、稽古が上手くいかなくても、
そんな自分を受け入れて、どうすれば上手くいくかを考える。

安定を求めずに、不安定を受け入れて心のコントロールに務める。
そして何より、お芝居ができる喜びを感じ、感謝し、楽しめれば必ず乗り越えられます。

自分が「状態異常」に陥っても、焦らず、自覚し、役と状況設定に集中し、
5感を使いその世界にトリップしてみて下さい。
それが「自分を消して、役になりきる」ことに必ずつながります。

最後に演技者同士の「状態異常」への指摘はなるべく避けましょう。
さらに相手を追い詰めることになる可能性があり危険です。

演技について考える(2)|白石アートステージ|白石雄大

もう少し「状態異常」について考えてみましょう。

稽古場には私生活は持ち込まない。稽古場内の恋愛はなるべく避ける。
稽古場内の人間関係には注意し、問題を起こさない。
以外に、一番「状態異常」に陥りやすいのは、
演出家(ディレクター)のダメ出しによる「状態異常」です。

初心者のほとんどは「状態異常」状態で稽古場にいます。
そしてその初心者に出されるダメ出しの代表が
「早い」「遅い」「間が悪い」「声が出てない」。
これらは何をすれば良いか分からず、
緊張、あせり、不安、自信がないなど経験不足が原因として起こります。
役の「インナーボイス」ではなく、本人の「インナーボイス」が見えてしまう状態です。

前回も書きましたが役を演じるとは、
5動作「見る」「聞く」「話す」「歩く(動く)」「止まる(形を作る)」に
その役の「インナーボイス」を表現すること以外ありません。

演出家がこの5動作のどこが違うのか?的確に指摘してもらい、
理解できればすぐにダメ出しに反応できるでしょう。
そうであれば問題ないのですが、時として何を言われているのか?
さっぱり理解できないことも多いでしょう。そんな時あなたはどうしますか?

よく見かける光景で、ダメだしの途中で
仲の良い共演者に聞いて(話しかけ)演出家を無視するような態度をとっていませんか?
演出家はあなたに話しかけているのに、あなたが別の人に話しかける行為は、
絶対にするべきではありません。演出家との関係を悪化させるだけです。
分からないことは演出家に聞きましょう。
友人に聞きたければ、休憩時間などに聞けばよいのです。

さてダメ出しの種類について考えてみましょう。

まずは「ミザンス」です。「ミザンスが悪い」とも表現されます。
この言葉の語源はフランス語のミゼンセーヌから来たようですが、
舞台上にセットや役者を配置することを意味します。
今の演劇の世界では、役者の立ち位置や
動いて止まる位置などを「ミザンスが悪い」と表現します。

役のインナーボイスが分かりずらい位置にいると考えればよいと思います。
共演者同士が近い、遠い、かたまり過ぎている、
主役としての位置じゃない、見え方が悪いという事です。
次に役の(シーンの)役割分担(心情)を理解していないケースです。
このようなケースで演出家はイラッとした言葉を使います。
「違う違う違うよ!」「なんでだよ!」
「違うでしょ!もっと考えろよ!」「台本読んでるのかよ!」灰皿が飛んで来そうですね。

そのような場合は、演じている人物の目的(作家の意図)が
分かっていないケースがほとんどです。
もう一度台本をしっかり読んで理解を深めなければなりません。

次は芝居グセです。本人も気づかず、演技をすると出てしまうクセ。
語尾を伸ばす、瞬きが多い、その人独特の話し方や動き方をする。
これは自覚して直す(注意する)しかありません。

次はキャラクターについてです。これが一番厄介ですね。
演出家のイメージと役者が創ったイメージが異なる。
これに関してはキャスティングに問題がある場合もあり、
演出家、プロデューサーとよく話し合う必要があります。
ですが役者は最後まで諦めず、果敢に役に取り組む姿勢は重要です。

実は私はここが一番重要だと考えています。
そのダメ出しは自分に問題があるのか?

 相手役(集団的)に問題があるのか?
 その他(セット・衣装・小道具)に問題があるのか?
 台本の問題なのか?
 演出家の問題なのか?

しっかりと見極める冷静さが特に重要だと考えます。
時に演出家は主役にダメ出しが言えず、
とばっちりのようなダメ出しを脇役にするケースも多々ありますからご用心を。

演技について考える(3)|白石アートステージ|白石雄大

ここに一冊の台本があり、キャスト欄に自分の名前があります。
まずは台本を読みストーリーを理解し、自分の役がどのシーンに出てるか知ります。
そこで皆さんはセリフの数が多い、少ない、主役にからんでいるか? いないか?
など、自分の役の重要度を考える事でしょう。

誰しもが少しでも良い役(出番やセリフが多い)を求めるのは、
悪いこととは思いませんが、役の大小で自分のやる気が左右される事は、
必ずしも良い状態とは言えません。
役に大小はあっても、それは人の大小にあらず、です。

さてここからが本題です。

台本を読んで、まずあなたは何を考えなければならないのか?
その答えは役の人物は「どんな人か?」と考え、想像することです。

セリフやシーンからヒントを得て考えることができる役(主役級)もあるでしょうし、
書かれていない役も当然あります。こういう時いつも私は「チャンス!」と考えています。
だって書かれていないなら、好きなように演じて良いんじゃないですか?
周囲に迷惑をかけなければ、演出家を驚かす芝居だって演じられますし、
それに次にもっといい役がもらえる可能性だってあります。

ではどうやって「どんな人か?」の「どんな」を探せば良いでしょうか?

わたしがいつも真っ先に考えるのは「その人の欠点を探す」事です。
その役がもっている欠点。そしてなるべく「IQを低くする」事だと考えます。

なぜ、欠点とIQを低く考えるか?

それはその役をチャーミングに見せるからだと私は考えています。
その方が観客も構えず、楽に感情移入できると考えます。
人の欠点を描くのが、脚本家、役者の仕事だとも考えています。

そして人とはどんな生き物か、考えることです。

すぐれた脚本家なら、主役のヒーロー・ヒロインにも必ず欠点を描きこみます。
欠点のない人なんてこの世にはいません。
欠点のないヒーロー・ヒロインはこの世には存在しないという事ですね。

欠点を挙げてみましょう。

自分勝手、優柔不断、短期、おしゃべり、消極的、すぐ飽きる、
人の言うことを聞いてない、すぐに悪口を言う、
声が大きい、臆病、おっちょこちょい、
自分の都合の良いように記憶をすり替える、酒癖が悪い、
すぐに黙る、すぐに泣く、すぐ怒る、
焦る、早合点する、調子が良すぎる、ウソをつく、
約束を守らない、敵を作り味方を増やす、

切りがありませんね。
そこで今度の役は優柔不断を欠点だとします。

さああなたの頭をよぎる優柔不断な人は誰ですか?
その人はどんな話し方をしますか?
どんな歩き方をしますか?

どんどん想像力をふくらませて下さい。
そしてその人になって話し、歩くのです。
最初は実在の人物を真似ることから始めると良いと考えます。
しかし真似た人物があなたを見ても、
自分が真似られていると気づくとは、到底思えません。
それに物まねではないので、誰が見ても似ている必要はないのです。
あなたが感じたように演じればよいのです。

そしてその人物になって、もう一度台本を読み直してみましょう。
その人物は他の人が話してる時に、そのセリフをどう思って聞いてるのでしょうか?

このインナーボイスこそその人物の性格です。
あなた自身ではなく、その役の人物は何を思って、
他の人のセリフを聞いているのでしょうか?

これを台本に書き込んで下さい。
一瞬で思う事ですから、「エッ?!」とか「そんな馬鹿な?」
「なんかウソ臭い」「ヤな感じ」とか短い単語だと思います。

自分のセリフをどう言おうではなく、
インナーボイスができていれば、勝手にその人物が話し始めます。

あなただって友達と話している時に、
「どんな感じでこの言葉を言おう」なんて考えて話していないですよね。
言い方を話す前に考えるのは、とても特殊な場面です。

例えば好きな相手に告白する時、友達に謝る時、
面接など、前もって言うセリフや、言い方を練習することが現実にあります。
すると殆どがぎこちない言い方になってしまった経験はありませんか?

セリフの言い方の練習をしているとだいたいが、このパターンに陥ります。
イメージトレーニング程度にしておいた方がよさそうですね。
考えるのは役のインナーボイス!

演技について考える(4)|白石アートステージ|白石雄大

演技をする上での5つの動作、見る、聞く、話す、歩く(動く)、止まる(形を作る)、
この中の「歩く」を細かく考えてみましょう。

道行く人を見て、その人がどのように歩いているか観察してみて下さい。

「股関節から下、足の部分」
1、つま先の向きは? 真っすぐ、ガリ股、内股。
2、歩く股の広さは? 普通、大股、小股。
3、足裏のどこから着いている?
  かかと、つま先、全体、内側、外側、滑らせている。
4、膝は曲がっている? 普通に屈伸している、極端に屈伸している、
  ずっと伸ばしている、ずっと曲げている。
5、歩くスピードは? 普通、早い、遅い。
6、股の間隔は? 普通、狭い、広い。

「お尻、腰の部分」
1、お尻は? 動いていない、左右に振っている。
2、腰は? 普通、前後に曲がっている。

「胴体部分」
1、背骨は? 真っすぐ、猫背、前かがみ、後ろに反っている。
2、肩は? 上がっている、下がっている、斜めになっている、左右に振っている。
3、おへその向きは? 真っすぐ、左右どちらかに向いている。

「腕」
1、殆ど動かさない、大きく振る、左右どちらかを振る、構えている、上げている。
2、手は? 軽く握っている、強く握っている、指が動いている。

「首から上」
1、首は? 前に出ている、後ろに引いている。
2、頭は? 左右に曲がっている、あごが上がっている、あごを引いている。
以上15項目(これ以外にもまだまだあります)

人は色々な歩き方の特徴があります。
普段はそれほど特徴ある歩き方をしていなくても、
様々な場面でこの特徴を生かした、キャラクターが作れます。

怒った時、悲しい時、うれしい時、ドキドキした時、
恐怖を感じた時、意気込んでいる時、落ち込んだ時、などなど、15項

目のすくなくても3つ位を合わせて、表現してみて下さい。
漠然と表現するより、より深くその人物像に迫れると考えます。
もちろん、これに顔の表情、目線、呼吸、立ち位置、相手との距離、
そして移動の距離などが複合的に混ざり、インナーボイスの表現となります。

稽古中にこれら15項目を常にどうするか考えるだけで、
漠然と感覚だけで演ずるより、多くの事が気づけます。
大事なのは役の人物像に迫る、この「気づき」なのです。

どうすればこの「気づき」が得られるか?

その一つの答えがこの「歩き(動き)」なのです。
演ずる(稽古中も)とは絶えず、この「気づき」を探し求める事にあります。

演技について考える(5)|白石アートステージ|白石雄大

歩く(動く)についてもう少し考えてみましょう。

あなたが普段歩いている時、当たり前のように感じている事。
どこの上を歩いているのか(触覚)、どんな音が聞こえているか(聴覚)、
何が見えているか(視覚)、どんなニオイがするのか(嗅覚)、
5感の内少なくとも4感を働かせている自覚はあるでしょう。

味覚も想像の中で働かせている事もあります。
お昼に何を食べようかな?
このニオイはパンを焼くニオイだな?
この音は肉を焼く音だとか、
色々な食べ物の味覚を想像することは多分にあります。

それ以外にも、太陽の光を眩しい(視覚)と感じたり、
熱い(触覚)と感じたり、風を寒い(触覚)と感じたり、
5感を使っている自覚がハッキリないだけで、
さらに多くの場面で様々な事を感じています。

そしてそれを不快に思ったり、心地よいと思ったり、心を動かされています。
うるさい、臭い、まずい、気持ちが悪い、わずらわしい、イライラする、などなど。

当然、演技をする上でこの5感の再現又は想像することは、大変重要になってきます。

みなさんは屋外にいる設定で演技する場面で、
どんな上を歩いているか想像できていますか?

稽古場のフローリングやリノリウムやパンチカーペットの上を、
普通に歩いていませんか?
具体的に考えて体現してみましょう。

どこまで想像できるかは、
みなさんの演技の知識や経験に関係すると思いますが、とても大切な事です。
そでで出番を待っている時など、是非想像して下さい。
舞台の上でもどんどん想像して下さい。

舞台の上で何をしたら良いかわからない、
稽古中に何をしたら良いか分からない、なんて事はなくなるはずです。
むしろやる事、考える(想像する)事だらけで、
追いつかないと感じるのではないでしょうか?
是非稽古中やレッスンの時に一つ一つ想像して感じてみて下さい。
必ずあなたの演技の助けになり幅が広がる事はまちがいありません。

ここで一点、大きな岐路があります。

上記を想像し実際体現する時に、その事を見ている人(観客)に
分からせる演技をする必要は全くありません。
あくまでも演じている人のベースにある事と理解して下さい。
ならやってもしょうがないとは考えない方がよいでしょう。

あくまでも基本です。

ある円熟された役者の先輩から聞いた話です。
すでに亡くっている歌舞伎役者Yさんと舞台で共演した時、
そのYさんはシェークスピア「リア王」で、舞台セットの上を歩くシーン、
Yさんは確実に城の石畳の上を歩いていたそうです。
同じ芸の道を志す者として、思わず流石!と唸ったそうです。

多分お客様には分からない事かもしれませんが、
王としての威厳、重厚さは増して見えるのではないかと思います。

実は私も「山奥の深い森の中」を歩く練習を、何度も何度も繰り返した経験があります。
その時にやはり、足の裏の感覚、音、ニオイ、何が見えるか?
熱い寒い、どっちから陽が指しているかのと云う訓練をし舞台に立ちました。

実際に山を一人で歩く稽古もしました。
北海道の原生野で熊が出てくるかもしれない、
迷子になって遭難する危険だってあり、ドキドキするものです。

その稽古の最中、気づいた事があります。
それは呼吸です。

森の中をずっと歩いているので、
目的地に着いた時は呼吸がかなり荒くなっていました。
そして静かな森の中では、その自分の呼吸音がよく聞こえるのです。
その呼吸を使って森の中に住む、
ニングルという小人と話をするシーンに利用しました。
想像だけでなく、実際にやってみて「気づき」があると、
とても参考になり自信にもつながりました。

1、どこを歩いているのか?(触覚)
 アスファルト?
 濡れてグチャグチャな土の上、
 コンクリート、砂浜、森の中の枯葉の上? 草の上? 雪の上、
 まだまだ色々ありますね。

2、どんな音が聞こえますか?(聴覚)
 車の走行音、電車の音、自転車の走行音、風の音、
 人の声、鳥の声、人が歩く靴の音、虫の鳴き声、犬の吠える声、
 まだまだ沢山ありますね。

3、どんなニオイがしますか?(嗅覚)
 季節のニオイ、雨のニオイ、草のニオイ、排気ガスの
 ニオイ、畑の土のニオイ、枯葉のニオイ、芝のニオイ、給食のニオイ、などなど。

4、何が見えますか(視覚)

5、暑いですか?寒いですか?
 太陽はどこにありますか?
 風はどっちから吹いてますか?

演技について考える(6)|白石アートステージ|白石雄大

演技をするとは人が人を演じ、その人物のインナーボイスを表現する事。
色々書いてきましたが、結局は人を観察しその人を演じてみる、
という事につきると考えます。

普段どれだけ多くの人を見て、何を感じるか?

漫然と人を見てるのではなく、話し方や目線、話の聞き方、
歩き方や姿勢、顔の作り、衣装や靴、などを細かく観察し、そして真似てみる。
これしかないと考えています。

そしてその人は何を考えているのか想像し感じてみる。
その人自身が気が付いてない感情まで想像し、自分なりに解釈する。
その人を真似た時に、自分の中に起きる感情を理解する。

ここが一番重要だと考えています。
これに正解はないのでいくらでも好きに感じればいいと思います。
それを稽古中に多く試し、一番効果的な人物を探し膨らまして楽しんでみる。

ここから「人物を時間軸で考える」を説明していきます。

脚本家はその人物の履歴を考えています。
どこで生まれ、どのように育てられたか?
それがその人物にどんな影響を及ぼしたか?
そしてそれが今にどうつながるか? など作っています。

役者にも同じ作業が必要だと思います。稽古中にどんどん想像し膨らましていく。
一言しかセリフがない役でも、大きな役が来た時の練習だ
とでも思って想像する事をお勧めします。

さらに小前史も考える事も大切です。

1時間前は何をしていたのか?
10分前に何をしていたのか?
5分前、1分前、10秒前、とその人物がしていた事、考えていたことなどを想像する。
これがその人物を時間軸で考えるということです。
その人物がそこに存在するには、その前の時間があるという事です。
それによって当然今が左右されることを自覚しなければなりません。

まずはエクササイズとして自分の履歴を書き起こしてみるといいでしょう。
なかなか自分の履歴を書くのは大変な事だと知るでしょう。
自分の人生を文字で起こすと、とても違和感があるものです。

そして次に衣装、これも大変重要です。
それはその人なりを確実に表現しているからです。
どんな服を選ぶかは、その人の履歴や性格を大きく現わします。

観客も、登場した時にその衣装から色々な事を想像するでしょう。
そして「なるほど」と思うのか? 「なんか違うんじゃない?」と思うのか?
あなたが演じる役を判断してしまいます。
この人物はどんな衣装を好んで着るのか?
稽古の最中にも絶えず想像する事は大切です。
衣装が決まって初めてその人物を理解できた!
そういうケースも多々ありますね。

そして髪型なども大きくその人物を現します。
男女でも大きく分かれますが、髪は長いのか、短いのか?
整髪剤は付けているのか?パーマはかけているか?染めているか?
などなど色々な事が考えられるでしょう。
稽古中にどんどん想像して、変えて行きましょう。

でもここで注意する事があります。
主役や準主役級の人と被ってはいけません。
思わぬトラブルになることがありますので注意が必要です。

次に靴です。現在は昔に比べ、選択肢がかなり多くあります。
それ故に靴は重要なアイテムになります。
革靴なのか運動靴なのか、女性であればさらに選択肢は広がりますね。

そしてその靴はどれくらいの頻度ではかれているか?
でくたびれ度は違ってきます。いつ買われた物かも想像してみましょう。

人は見た目でかなり多くの情報を発信しています。
それはその人物の履歴に関わることだと理解できますね。

なぜその服装なのか? その髪型なのか? そしてその靴なのか?
なかなか言葉にはしにくいですが、すべてに理由があると私は考えています。
それらが自分なりの解釈で、言葉にできるところまでいけば、
それはもうその人物になりきっていると考えてもいいですね。

衣装さんがいる場合でも、自分なりに考え、
衣装さんと相談し創り上げる事をお勧めします。
小道具を含め(鞄など)自分で考えてそろえるのもいいでしょう。
女性なら爪はどうしているのか? 化粧の仕方は? などさらに想像してみましょう。

それらの事からその人物のコンプレックスが見えてくる場合もあります。
色白に憧れている。足が長く見える服を選ぶ。
丸顔なので髪の毛の横はすっきり見せたい。髪型で小顔に見せたい。
からだにぴったりした服は避ける。足は見せたくない。
などなど色んなコンプレックスからくるこだわりが、必ず一つや二つあります。

ご自分の事を考えみて下さい。
なぜその服を選んだのか? と自分自身に問いかけてみることも大切です。

最後に、よく「こんな服を着るのは嫌だ!」 と衣装さんや演出を困らせている場面を見ます。
それはあなたのコンプレックスですか? 役作りと関係ありますか?
本人のインナーではない、オープンボイスですか?!
それは「状態異常」の可能性は?!

演技について考える(7)|白石アートステージ|白石雄大

ここで一つ考えてみたい事があります。

演劇の世界でよく話題にあがる「リアリティ」についてです。
辞書では「現実性」「真実」とあります。
演劇の世界では「現実世界の真実観」とでも言うのでしょうか?

リアリティーがある、ないと表現されています。
笑う、泣く、怒る、驚く、などの表現がリアルであるか?ないか?という事でしょうが、
そもそもリアルか?そうでないか?は誰が決めるのでしょか?

自分自身?演出家?観客?どのメソッドを読んでも、
日常世界のリアルな感情の再現を追及しているようですが、私には疑問です。

それは役の感情と演者の感情は別だと考えるからです。

本人が泣く感情を再現しても、それは本人の感情(演者の感情)であって、
演じている役の感情ではないと考えるからです。

誤解を恐れず言うなら、
観客は役者が演じている事は重々承知の上で、お芝居を観ています。
そこで本人の感情を見せられても、そこに引き込まれる事があるでしょうか?

私は見ていられませんし、お金を払って観たくもありません。
あくまでも役が観客を楽しませ、魅了すると考えています。
さらに言えば、感情の再現をしたところで、
本当にその感情が心の中に沸き起こった感情なのでしょうか?

たとえば「なぜ涙がでるのか?」悲しいから?うれしいから?くやしいから?
そんな事を考えて泣いている人がいるでしょうか?
自然と涙が沸いて出て、本人は泣きたくないのではありませんか?
涙を流したくなくても、あふれ出て止まらない。
その感情は一体なんと表現すれば良いのでしょうか?

怒る時も同じです。突然怒りが沸いて、大きな声を出してしまう。
それはほんの一瞬の出来事です。なぜ怒りが沸いてきたのか?
本人が自覚しているでしょうか?

後からなぜ怒ったのか説明出来る事もありますが、
殆どが「そんなに怒らなくても」と周りに思われているのではないですか?

なぜ本人はそこまで怒ったのか?自分で理解してますか?
それはあなた自身の心の奥底にしまってある、
言うに言われぬ感情が爆発したから、怒ったんですよね。

ここでもう一度「リアリティ」の話に戻ります。
自分で理解出来ない事を「現実世界の真実観」で考えれば、
何故怒ったのか?何故泣いたのか?
理解出来ていないのではないでしょうか?
もし理解していたら、怒りも泣きもしないのではないでしょうか?

人の感情はとても複雑で色んな要素が絡み合って、
色んな感情が生まれてくると考えます。
だとすれば、「日常世界のリアルな感情の再現」をする練習をしたところで、
それは本人が認識できる範囲であって、上辺だけの表現でしかないと言えます。

リアルの涙が出ようが出まいがそんな事は関係なく、
その役の人物になりきっていれば、観客が感情移入するのだと考えます。

如何でしょうか?
人はもっともっと複雑であることを、
皆さん自身が良く分かって日常生活を送っているのではないでしょうか?

「日常生活のリアルな再現」をエクササイズとして
取り入れる事を批判するものではありません。
しかし人はもっと複雑で、分けのわからない生き物なのではないでしょうか?
それを「日常生活のリアルな再現」だけに留めるのは、
あまりにも単純のような気がします。

なのでリアリティをそれほど大きくとらえる必要はなく、
人間観察からくる想像力をふくらませる方が
よっぽど、観客を楽しませる力があると考えます。

よく演技がオーバーだとか、わざとらしいなどの演者に対する批判を耳にしますが、
それも好みがあるでしょうし、演出でやっている事もありますし、
脚本がそう出来ている場合もあるでしょうし、
他の演者が抑え気味で浮いて見える事もあるでしょうし、
色々なケースがあると思います。
本人が意気込みすぎたり、目立とう精神でやってる場合もあるでしょう。

前にも書きましたが、演者のインナーボイスが見えてしまう状態を
「状態異常」と説明しましたが、そんな状態での事かもしれません。
やはり人の心は複雑だという事が、こんな所にも現れていると感じます。

以前読んだ本の中に人には自分では自覚できない「無意識」という領域が、
心の中に存在すると書かれてありました。
潜在意識よりもっと奥深く、心の奥底にある「無意識」。
この無意識に人は影響されて生きているのだそうです。

表には決して現れてはいけない感情。
その「無意識」には門番がいて、厳しい検閲をしているそうです。
もしかすると人はその「無意識」を「悪魔」と表現し、
常日頃その存在を恐れているのでは?
などと想像を膨らませてしまいます。

やはり人とは複雑怪奇で理解不能な闇を抱えている生き物なのかもしれません。
だから演劇が面白いとも言えるかもしれませんね。

演技について考える(8)|白石アートステージ|白石雄大

自分との対話の中で、自分の中に他人を創り上げる。
これこそが役作りです。それはその人物(他人)を理解する事から始まる。

常日頃、「あの人は何故あんな事をするのだろう?
なぜあんな事を言うのだろう? なぜあんな服や化粧をするのだろう?」
正確な答えは分かるはずはありません。
ですがこの「なぜ」が他人を理解する上での第一歩だと考えます。
すべてがこの「なぜ」から始まります。
台本を読んで、自分の役はなぜこんなことを言ったり、行動したりするのか?
ここから自分の役作りが始まります。
これは10人の役者がいれば、10人の考え方があるので、
全くの別人がそれぞれ演じられます。それが役者の個性とも言えますね。

よくオーディションなどでセリフを言う時に、
殆どの人が同じ読み方(セリフの言い方)になってしまう場面を見かけます。
これは「オーディションに合格したい人たち」の集団の状況設定が同じ中で起こる、
役者自身の状態異常です。

この対処法としては、まず緊張している自分を受け入れ、
オーディションとはその役に合っている人を探しているのであって、
自分の良し悪しではない事を理解する。
そして役の人物を自分なりに理解して、歩き方、話し方、
どこで止まって、どんな姿勢で、どこの上を歩いて、
まわりにはどんな景色が見えて、などなど
できるだけ多くの事を想像し体現しましょう。
このエクササイズは大変重要です。なるべく多く稽古することをお勧めします。

もし役のオーディションではなく
進級や入団のオーディションであれば、その人が評価の対象です。
この場合はそこまでレッスンして来た事の評価ですから(人物の評価もあります)、
今更じたばたしても始まりません。思いっきり楽しむ他はありません。
楽しんでいる人にはかなわない!そんな格言もあります。
これ以外に対処法はないでしょう。

たまに子供が遊んでいる時や、ふざけている時に
上記のエクササイズ的な行動を見かける事があります。
私の師匠が「創るとは狂う事である。狂って遊ぶ事である」という言葉を残しています。
まさに「遊ぶ事」とは奥が深いですね。

ある有名な役者さんも、演技に困った時に
幼稚園の園庭で子供たちを観察すると聞いた事があります。
子供たちが遊んでる姿から、演技を学んでいると考えられますね。

今回のテーマは「自分との対話」です。

そこでその中で起こる「違和感」に注目します。
私はこの「違和感」をとても大事に考えています。

例えば他人の洋服を借りて着ると当然自分の中で「違和感」が生じます。
他人の家にお邪魔した時も「違和感」を感じます。
ですが両方ともその人物や家族が、それを良しとして生活しています。

他人になるには自分ではない「違和感」が、役作りの指針になると考えます。
この「違和感」を頼りに、稽古し自分と対話することが重要なポイントです。

その役を演じきるまで常にこの「違和感」を作り出し、
考え続け、受け入れる努力をする。
そしてこの「違和感」を受け入れ、積み上げた結果、自分ではない他人が現れます。
そして役者自身も成長していくと考えています。

ある意味役者とは、この「違和感」を受け入れる仕事かもしれませんね。
そして常に自分との対話が要求されます。

今自分は何を感じているのか?
今自分はどのように演技をしているのか?
今自分は何をしようとしているのか?

これを理解していないと、迷宮の森に入り込んでしまいます。
何をどうしたらいいのか全く分からなくなってしまいます。
稽古場で涙している人(状態異常)は自分のコントローラを手放して、
この迷宮の森に入ってしまった人だと感じます。

もしくはすぐに結果が欲しい人。
そんなにすぐに結果など出るものではないと理解しましょう。

変な話ですが、20年以上前に演じた役の行動を、
未だに「なぜ」と思い起こすことがあります。
今更そんな事を考える必要はないのですが、やはり考えてしまいます。
それに答えなどありません。だから考えてしまうのでしょうか……。

村八分になった男が、妻を残し自殺をする。
こんな無責任な行動をなぜしたのか?
この人物は、のちにヒーローとして評価されます。
本当に彼はヒーローだったのか? 考えたら切りがありませんね。

やはり自分と対話しながら「違和感」を指針に色んな事を想像しながら、
5感を働かせ、その場に存在する。これこそが役を演じる事ではないでしょうか?

多くの「なぜ」を常日頃、想像の中で楽しんで下さい。
世の中には多くの「なぜ」が転がっています。
中学の時の女性の担任が、冬になると鼻水を垂らして授業をしていました。
先生はなぜ鼻をかまなかったのか?

未だに謎です。

演技について考える(9)|白石アートステージ|白石雄大

演技をする上での5つの動作、
見る、聞く、話す、歩く(動く)、止まる(形を作る)の中から
今日は「話す」を取り上げてみます。

演技をするというと殆どの人がセリフを言う事を考えます。
しかし台本に書かれてあるセリフをその言葉の意味通り声に出しても、
脚本家の意図するセリフにはなりません。

何故なら脚本家は感情を直接相手に伝えるようなセリフは書かないからです。
私も倉本師匠に「直接的なセリフは幼稚である」と教わってきました。
ではセリフとは一体どう書かれているのか?

まずは逆の意味として書かれている場合「好き」を「嫌い」とか、
ウソを言ってしまう場面とか、誤魔化そうとしていたり
その人物のその時の状態や状況設定の上に書かれています。
まずは役の人物の状態や状況設定をしっかり把握しましょう。

そしてまずセリフを声に出す時、まずは棒読み(うねらない)の練習をしましょう。
人は真っすぐに読もうとしても語尾をいじる癖がもともとあります。
語尾まで真っすぐに読むのは難しいので練習が必要です。

棒読みを=下手くそと思われる方もいると思いますが、
それは小学校の音読のように、一定のスピードで
音の高低を滑らかにつけて読む読み方で、ここで言っている棒読みとは違います。
まずは棒読みが基本なのでしっかり練習しましょう。

前にも書きましたが、そのセリフをどう言おうか考えると大概はうまくいきません。

むしろ自分が考えうる想像の中にない音を出そうと試みると、
誰もが想像の範疇に収まる音以外の音が出せるかもしれません。
それはまさにあなたのオリジナリティとなります。

よくセリフを歌っている演技をみますが、
それがその劇団のスタイルなので否定しませんが、
セリフは相手にきちんと当てなければ、
見ている方も誰に言っているのか分かりません。

特定の一人に言っているのか?
全体に言っているのか?

観客にそのセリフの内容で理解させる手法は
私は如何なものかと、疑問に感じてしまいます。

人は普段の生活の中で、この言い方をしようとは考えていません。
「こんな言い方をしたくなかったのに、きつく言ってしまった」
などと後悔する方が多いのです。

ですから事前に用意されているセリフの音は、殆どが間違っているか、
まったく意味のないものになってしまいます。
それではせっかくセリフをもらったのに残念な結果に終わります。

なるべく自分の想像の範疇を超える音を稽古では出すよう心掛けて下さい。
そのうちコツがつかめると思います。自分の想像を裏切る音です。
それが出来るまでは棒読みをお勧めします。

そしてとても重要になってくるのが「呼吸」です。
人は「呼吸」の音で相手に強いメッセージを伝えます。

深い呼吸、浅い呼吸、ゆっくりな呼吸、早い呼吸、
などこれらで出て来る音で、相手に伝わる感情が増します。
絶えず呼吸の意識は必要です。これは意図して使っていく必要があります。

セリフの事を考えるよりも呼吸の事を考える方が大切です。

これは大切なポイントなので、繰り返し練習することをお勧めします。

そして何回もお伝えしてきましたが、大切な事はその人物の「インナーボイス」です。
心の中で何を思っているのか?
時々本人も気づいていない「心の声」にも遭遇します。そういう時に人は
「そんなつもりじゃなかった。本当はこう考えていたのに、別な行動をしてしまった」
などど弁解する場面に出くわします。

思っている事ととやっている事が違う場面です。
このような時は自分の本当の「インナーボイス」を
その人自身がキャッチしていないケースだと考えます。
皆さんにも思い当たる出来事は少なからずあるでしょう。

そして皆さんも普段、この「インナーボイス」を自然と感じています。
「×× さんは本当は私の事良く思っていないのに、感謝してます、なんてよく言えるわね」。
このような場面も相手のインナーボイスを聞きとっている場面ですね。

脚本家はこのインナーボイスを考えながらセリフを書きます。
セリフの言い方ではなくてインナーボイスを考えることに尽きるとやはり考えます。

セリフ術的な事を言えば、
まずはセリフのスピード(速い・遅い)、大きさ(大声・ささやくような)、高低(高い・低い)
この3つがセリフの言い方を変える方法です。

そしてこれに声色(ノドがしゃがれている、口の中の構造が広い・狭い)など、
その人独自(クセ)の話し方をする人などの表現があります。
そしてよく言われるセリフぐせが、語尾を伸ばすクセですね。

コント55号の萩本欽一さんこと欽ちゃんが
「ツッコミは語尾が切れる。ボケは語尾を伸ばす」と言っていました。
そしてこのツッコミ型の人の割合はとても少ないそうです。

ですから殆どの人が語尾を伸ばすクセがあると考えても良いですね。
倉本先生がよく本読みの時に言われる
「セリフとセリフの間をあけない! チェーンのようにつなぎなさい」
何を隠そう私もよく怒られました。
「語尾を伸ばすな! セリフとセリフの間は詰めてくれ!」
欽ちゃんは座員さんによく
「語尾を下げるな! 下げると次の人が音がとれないじゃないか!」とよくおっしゃっていました。
これもとても大切な事なので実践して下さい。

「語尾は下げるな!」

演技について考える(10)|白石アートステージ|白石雄大

演技をする上での5つの動作、見る、聞く、話す、歩く(動く)、止まる(形を作る)の中から
今回は「見る」「聞く」「止まる(形を作る)」をお話しします。

まずは「見る」これを二つに分けます。話している時と聞いている時。

まずは話しているとき相手を見るか?見ないか?
これで表現は大きく変わります。

相手の態度やこちらの心境で見たり見なかったりします。
チラッと相手の反応をみたり、ここぞという時に見たり、
相手がこっちを見たらすかさず視線を外したり、「見る」には様々な表現ができます。

それに体(首)の向きが表現に加わります。首だけ相手に向けて見る。
上半身を相手に向けて見る。全身で相手を見る。上半身を前かがみにして相手を見る。
これに中腰、座る、しゃがむ、なども姿勢も加わり、それが変化していけば無数の見かたがあります。

そこでどれが一番効果的に観客に役のインナーボイスが伝わるか。
相手役に意志が伝わるか考えながら稽古をすればとても良い稽古ができます。

ここで一つ注意!「まばたき」はきちんとコントロールして下さい。

TVや映画のアップではとても効果的に使えますが、
あまりのまばたきの多さに、NG連発を若い頃にした有名な俳優さんもいます。

次に「聞く」です。この時に一番多くのインナーボイスが表現できます。

相手を見る場合、相手の意見に同意しているのか?そう見せているだけか?
その人物のステータス(誰が一番偉いか)も表現できます。

ずっと見ないで、相手のあるセリフの時に見る。
など効果的に使えば、驚きや傷ついた様子など色んな表現ができます。
これに体の表現が加わり、歩くも止まるも加われば、
無数の表現として観客や相手役にインナーボイスが伝わります。

この時なるべく自身の体が辛い姿勢を取ることが秘訣です。
なぜなら? 話す時、聞く時どちらにエネルギーを使うと感じますか?

当然聞く時です。しかし演劇の場合、
セリフを言わない時に、聞いている振りをしているだけで、
自分の次のセリフ待ちをしてしまいます。そこで辛い体勢をとって、
普段聞いている時と同じくらいのエネルギーを使うんだと考えて下さい。

もう少しインナーボイスと「聞く」「見る」「止まる」について分かりやすく説明してみましょう。

時は戦時中、数日後特攻に行く兵士が故郷の母に一日だけ会いに行く。
母は突然の帰郷に息子が死を覚悟している事を悟る。母を心配させまいと特攻の事を話さない息子。
平然を装う母と息子。いつもと変わらない日常会話に、
数日後には必ず死ぬと分かっている息子と母のインナーボイス。

別れ際に「必ず生きて戻ってきます」とうそぶく息子。「待っています」と母。
去っていく息子、見送る母。息子は振り向けない、永遠の別れになることを母が分かっている事も、
泣きながら手を振っているであろう母を見る事ができない。

お互いの動き一つ一つにインナーボイスが聞こえる。
ここまでのシュチュエーションがなくても、大なり小なり人と人は
インナーボイスで会話している事が分かります。それを表現するための、見る、聞く、なのです。

次にこれに「止まる」を考えてみましょう。
先ほどの息子と母の永遠の別れのシーンで、
振り向かない息子が急に止まる。数秒間動かず急に走り出す。

この時見ているあなたは何を感じますか?

最後に母に何か言いたかったのに、想いを振り切り走り去る。色々な想像が膨れ上がります。
あるいは立ち止まって振返って、母に深くお辞儀をする。そしてこの後は走り去る。

「止まる」はとても大きなアクションだと理解して頂けましたか?
重要なのは「止まった」時の向きや形です。
この兵士が「止まった」姿勢は直立不動で背筋を伸ばしているでしょう。
そして目線ですね。真っすぐ前を向いてる事でしょう。

話を少し変えます。

舞台に登場する時に、セリフを言いながら登場するとします。
セリフを言い終わると同時に基本必ず止まって下さい。
セリフを言い終わっても動いているのを「たらす」と言い「ボケ」の表現になるので注意しましょう。

ここで舞台に登場する時に「歩く」「止まる」「セリフを言う」。この3つをセットとして考えます。
歩いて登場して、止まってセリフを言う、これを3つと数えます。
歩いて登場するを1つ、止まるを2つ、セリフを言うを3つ目。

これは主役級が使う数だと覚えて下さい。なるべくこの数を少なくする事をお勧めします。

走りながらセリフを言って登場し止まる。セリフが短ければ1つで収まります。
しかし数を数えていなければ、3つも4つも使って時間を取ったりすれば、
それは分かっていない人と判断されます。
分かっていなければ平気で主役級の数を使って物語の進行を遅らせます。
これでは共演者や演出に嫌われてしまいます。

おまけに何がいけないのか理解できなければ悲惨な思いをします。

例えば振り向いてからセリフを言うではなく、振り向きながらセリフを言う。
こうすれば2つが、1つになります。ぜひ覚えて実践して下さい。
退場する時も同じです。セリフを言いながら退場するなら、
言い終わりと袖幕から消えるのを同時にする配慮が必要です。

主役がラストシーンでこの数をたっぷり使って表現するのを効果的にするのには、
その前の演者がなるべくこの数を使わないようにするのが礼儀と心得ましょう。

きっとあなたがいつかその数を多く使える日が来る事を祈って。

演技について考える(11)|白石アートステージ|白石雄大

セリフとセリフの間に、一瞬の沈黙を作り出す。それが『間』です。

私の師匠倉本聰先生の台本には必ずこの『間』が書かれてあります。

役の人物が今自分が思っている事を相手にどう伝えようか?
相手は自分の言った事をどう思っているのか?

など役のインナーボイスが詰め込まれているのがこの『間』です。
この『間』を上手に使うと芝居の緊張感が増し、観客も「どうなるんだろう?」とドキドキ、ワクワクしてきます。

しかし一歩間違えば、この一瞬の沈黙を「セリフ忘れたの?」と勘違いされることも少なからずあります。
その原因は役者が『呼吸』を止めるからです。この『間』を生かすにはこの『呼吸』がとても大切です。

『呼吸』で『間』が生まれると考えてもいいでしょう。

その長さには色々あって萩本欽一さんは「チョン(0.2秒くらい)」
「1秒」「1.2 秒」「1.5 秒」「1.7 秒」「2秒」ととても細かく表現をしていました。
正確に秒数を測るわけではなく、その時々の芝居の調子で変化しますが、感覚で覚えるしかありません。
そしてこの『間』に動きがつく場合もありますし、全く動かずフリーズ状態の時もあります。
その時々のシーンの効果で変化していきます。

しかし自分でも気づかない内に『間』を空けていたり、
もっと早く動いていれば(登場していれば)そこにそんな『間』が入らずに済む場面をよく見ます。
そこは個々の役者の努力とチームワークが必要です。

前にも書きましたが、初心者の役者のダメ出しに「早い」「遅い」「間が悪い」と言うのがあります。
この時の「間が悪い」は上記の、必要のない『間』を空けている事があるので気をつけて下さい。

セリフには一定のリズムではない、ある種のリズムが必要です。
そしてこの『間』がそのリズムを崩し観客に強く印象づける手助けをしてくれます。
『間』を生かすも殺すも役者次第なので楽しくもあり、怖くもあります。

『開ける間』の逆で『詰める間』もあります。
相手のお尻のセリフを食い気味でセリフを言いスピードを上げ、表現をより強くします。

『開ける間』、『詰める間』、それにもう一つ『合わせる間』があります。
相手のセリフや動きに自分の動きやセリフを合わせる。自分のセリフに自分の動きを合わせる。

例えば「いい加減にしろ!」と大声で怒鳴りながら立つ。と自分の動きとセリフを合わせ強調します。
よく友達同志で遊んでる時に『間』を合わせて楽しんでいる場面を見ます。観察してみて下さい。

結局は人が普段無自覚でやっている事を自覚し、再現する事が演技なのです。

今自分がしている事を自覚しているか? 否か?
人がやっている事を観察しているか? 否か?

で演技の「気づき」に大きな差を生み出します。やはり客観性が一番大切な事だと考えます。

自分が今何を思いこのセリフを言っているのか?
なぜこの洋服、この靴、この髪型で出かけるのか?
今自分はどのように歩いているのか?

などなど普段あなたが思い、やっている事全てが演技に役立つはずです。

「間を空ける」「間を詰める」「間を合わせる」そしてさらに「間をずらす」を話していきます。

先ほどの「いい加減にしろ!」と大声で怒鳴って立つの、「立つ」をわずかにずらすと、
本当は言いたくないがカッコいいところを見せたいから怒鳴るような表現に変化します。

実際私もやくざ映画で伝説の兄貴分を殺しに行かなければいけない場面で
「やってやるよ!」と勢いよく立つ時に、本当はビビッている表現として
少し遅れて立ち上がり『間』をずらしました。効果はバッチリ! すぐにOKが出ました。

しかしこの「間を合わせる」を知らなければ、「間をずらす」も考えつきません。
まずは「間を合わせる」から練習して下さい。そして少しづつずらしていき、
完全にずらせばそれは「ボケ」の表現になります。
とてもいい人だけど少しおっちょこちょい的な表現です。

一つ気を付けたいことがあります。それは『間を潰す』行為です。

相手役が空けたほんの数秒の『間』に動いたり(顔の向きを変えたり)、
足を一歩前に出したり、咳をしたり、少しでも動けば、『間』は潰れます。
これは共演者としてはかなり失礼な行為です。
知らずとやってしまうのだとは思いますが、注意して下さい。

ある現場で往年の役者さんが稽古中「動くな!」と共演者に怒鳴っている事がありました。
怒鳴る事はないと思いましたが……気持ちは分かります。

今では笑い話ですが、私が書いたTVの脚本の本読みで、
ディレクターがト書きの『間』をイチイチ読んでしまうという事がありました。
私は小声で「間は読まないで下さい」とお願いしました。
お陰さまで『間』をディレクターに潰されるという経験を持っています。

ちょっと面白かったですけど……。

演技について考える(12)|白石アートステージ|白石雄大

今回は「インナーボイス」について解説して行きます。

人は会話をしていない時に色んな事を考えています。
人の話を聞いている時も、歩いている時も、電車にのっている時も、
あらゆる事を見て聞いて脳が反応しています。

聞くところによると、現在の事、過去の事、未来の事を
人は一日に17万回考えているそうです。それがその役の性格です。
演技の基本5動作の「聞く」「見る」「話す」「歩く(動く)」「止まる(形を作る)」に強い関連を与えます。
当然と言えば当然です。人の心が知らぬ間にその人を動かしているからです。

それでは具体的に例を挙げてみましょう。

例1 AとB、友人同士の会話(非難される編)

A「Bちゃんて冷たいよね」

①Bのインナーボイス(以下IB)「お前に言われたくないよ!」とAを怒りの強い視線で見る。

②BのIB「そんな風に私の事思ってたんだ」とAをさりげなく見る。またはAを見れない。

③BのIB「そう思われてもしょうがないよね」とAに背を向ける。

①は怒り、②は疑心、③は納得。

これ以外にもストーリーの流れで色んなIBはありますが、まずはこの3つで考えた時に、
Aを強く見る、見れない、はずすの少なくとも3通りのリアクションに分かれます。

役の性格やストリーの流れからどれを選択すると、より効果的か?
観ているお客さんが楽しめるか?台本を読んで十分考えて、稽古で実際演じてみて下さい。

例2 AとB、友人同士の会話(ほめられる編)

A「Bちゃんて頭良いよね」

①BのIB「本当!」と喜んでAを見る。

②BのIB「なんかあるな?」と疑いの目でAを見る。

③BのIB「ゼッタイそんな事思っていない!」と怒りの目で相手を見る。

④BのIB「ウソつき」と背を向ける。

①は単純に喜ぶ、②は疑心、③は怒り、④は弱い怒り、
③と④は同じ怒りでも性格の違いからリアクションが大きく異なります。
この辺が演技が面白くなってくるところです。十分考えて下さい。

少し角度を変えて例をあげてみます。

A が人混みを歩いている。

AのIB「その洋服良いセンスしてるね」感心する。

AのIB「何かっこつけてるんだよ。似合ってないし」非難する。

AのIB「あの人自分と同じくらいの年かしら」自分と比べる。

AのIB「あの人やばくない?」危険を察知する。

など、歩いているだけで、多くのインナーボイスが心の中に浮かび上がります。
ここで知っている人を見かけます。
どれだけのインナーボイスが心の中で浮かぶでしょうか?
是非考えてみて下さい。

舞台上に自分が登場する。又は誰かが登場する。
その様な状況下でどれだけ役のインナーボイスが心に浮かんでくるでしょうか?
あくまで役のインナーボイスです。役者本人のインナーボイスではありません。

ここで少し面白い(芝居的な)インナーボイスを例に挙げて考えてみましょう。

例3 自殺志願者Aが、今まさに投身自殺をしようとしたその瞬間Bに声をかけられる。

B「ここ……遺体上がらないんだよね」

AのIB「自殺するってバレてるの?」

AのIB「やっぱやめよう」

AのIB「私を止めて!」

AのIB「どうしよう……」

AのIB「放っておいてくれ!」

AのIB「救助してくれるかな?」

あなたは他に幾つのIBを思いつきますか?
是非想像してみて下さい。

演技について考える(13)|白石アートステージ|白石雄大

「性格」と「感情」は全く違います。
この事をしっかり意識していないと混乱を招きます。
どの様に違うかハッキリと理解しなければなりません。

「性格」はその人自身に備わった心の動きで、感情はその「性格」が元になり外に現れる状態です。

例えば「暗い性格」の人、「明るい性格」の人、その人が怒った場合、
同じ怒るでも外に現れる状態は異なります。
「暗い性格」の人はネチネチ怒ったり、「明るい性格」の人は烈火のごとく怒ったりします。

「泣く」場合でも「暗い性格」の人がしくしく泣いたり、「明るい性格」の人がわんわん泣く、とやはり違います。
「性格」と「感情」の違い、ご理解頂けましたか?

インナーボイスがその役の「性格」、そこから発せられる行動(外に現れる状態)が「感情」です。

現在地球の人口は70億人と言われています。70億人全ての人の「性格」は異なります。
すると70億通りの違う「性格」を元にする感情表現も全て異なるということになります。
とてつもない数ですね!

人は生きている間にどれくらいの人に接して、その人物の性格を理解できるでしょうか?

今を生きて人に接する事こそ、全てが演技の勉強と言えるでしょう。
作家の吉川英二先生の言葉で「人生皆コレ師」とはまさに
役者の果て無き人間観察修行の心得を現しているようです。

その役(人)を理解する事からすべてが始まる。
それには終わりがない。自分自身を全て理解する事でさえ困難に思うのに、
やはり他人(役)を理解することにも終わりはないでしょう。
その役を後何か月演じられるのか? とフト想うと愛おしくもありますね。

作家が創り出した人物を、役者が演じて観客に魅せる。
それは役者にしか出来ない素晴らしい芸術です。
そして「芸術は人を育てる」と言われています。頂いた役と共に役者も育って行く。
なんて幸せなことなのでしょうか。

ここで一つ考えた見たいことがあります。「役」と「自分」です。
当たり前の事ですが本来「役」と「自分」は全く別人格です。

例えば「金太郎」を演じるとします。あなたは「金太郎」ですか? 違いますよね。
「赤ずきんちゃん」を演じます。あなたは「赤ずきんちゃん」ですか? 違います。
たまに「役から抜け出せなくなった」様な話を聞きますが、
私には、その役を自分に引き寄せて演じて「その役が自分と同化した」と言っているように聞こえます。
それは役者の仕事とは思えません。

シロウト同然で有名になった役者が、大金をもらってその役に体当たりして、
どう演じて良いかわからないので、気の強さに任せて「その役と同化させた」としか聞こえません。
そういう事は現実にあるでしょうが、そんな映画や舞台をお金を払って観たいとも思いません。

改めて感じますが、芸能界と演劇界は全く異なるということです。
芸能界は有名になって大金を稼ぐ世界。演劇界は稽古稽古の切磋琢磨の世界。
この違いもハッキリ理解する必要があると思います。

演劇界でしっかりと基礎を学んで、芸能界に出て行く事は理想です。
しかし愕然とするのは、芸能界にどれだけ演劇の基礎を学んだスタッフがいるのでしょうか?
映画が盛んな頃はADなどの経験を経て、学ぶことも出来たでしょうが、
今は芝居をどこで学ぶのでしょうか?

一流大学を出てテレビを作る会社に入り、
芝居の世界も分からない人が、カット割りだけ覚えてディレクターになる。
演技は役者任せ。そこに大手事務所から強烈なプッシュで
シロウト同然の役者が演技をする。
当然演技など分からないから、体当たりで自分と役とを同化させる。
それが現在の芸能界の在り様だと感じます。

脱線してしまいましたが、「役」と「自分」はなるべく離して演じる事をお勧めします。
それにはまずは自分を知ることから始まります。
自分を知らなければ、自分から「役」が離れているのか分かりません。
自分はこう思う、と知らぬ間にすっかり自分に近づけて演じている、なんて事も簡単に起こります。

私だったら「こんな風に怒る」なんて演じていたら、それはまさにご自分です。
まずはその「役」の「性格」を考えて「怒る」「泣く」「笑う」などどう表現するか是非考えて下さい。

よく「私にはこんな経験がないから分からない」という言葉を耳にします。
役者は「人殺し」さえ演じなければなりません。そんな経験があったら大事ですよね。
それに「私だったらこんな事は言わない」とか、これら全て自分を中心に考えて、
知らず知らずのうちに、役の人物を自分に近づけて考えているパターンです。要注意です!

繰り返しになりますが、「性格」=インナーボイスです。
他の役が話している時(セリフを聞いている時)に何を思うか?
これがその役の「性格」です。この事を是非学んで頂けることを切に願う次第です。

白石雄大主宰の実践的演技指導スクール( http://www.shiraishi-artstage.com/ )

Shiraishi Art Stage|富良野塾(倉本聰塾長)出身の白石雄大主宰の実践的演技指導スクール

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演技について考える(15)

倉本聰師匠より30年以上前に一番最初に教えて頂いた「集中・開放・想像」のお話をして、
この「演技について考える」を締めくくりたいと思います。

私がこの世界に入ったのが21才の時でした。
その頃は師匠の話の10分の1も理解できていなかったと、
今更ながらに己の未熟さに穴があったら入りたい想いになります。

「富良野塾」の卒業の楯に、
師匠の問いが80行以上小さな字で書かれてあります。

一部抜粋します。

あなたが生まれたのどこですか。家族はどういう人たちですか。
最初の記憶はなんですか。お父さんはどういう人ですか。
お母さんはどういう人ですか。兄弟について書きなさい。
自分の幼年期、思春期、青年期について書きなさい。
自分の性格を書きなさい。血液型を書きなさい。友人について書きなさい。
尊敬する人について書きなさい。影響を受けた人を書きなさい。
人を憎んだことがありますか。人を愛した事がありますか。恋愛歴について書きなさい。
今の部屋の図面を書きなさい。その中であなたが動く場所を線で書きなさい。
家の周囲の地図を描きなさい。
その地図の中にあなたの家、店など書きなさい。住人について詳しく書きなさい。
口をきく人について書きなさい。あなたの歩く道を書きなさい。
今着ている服はいつ買いましたか。それをどの位愛用してますか。
クリーニングに出していますか。
それとも自分で洗っていますか。洗ってから何日着てますか。
靴についてはどうですか。下着についてはどうですか。カバンについてはどうですか。

今あなたはハッピーですか。それともブルーですか。
今あなたの心を占めているものは何ですか。それは人に知られたくないことですか。
それとも人にしゃべりたくて仕様がないことですか。
あなたは自分の感情をそのまま表に出せる人ですか。

(以上抜粋)

まさしくこれが「想像」「人物の創造」とも言える
「その人物(役)の根っ子を考え抜く」という教えです。

「根っ子」とは師匠がよくおっしゃっていた、
「表には出てこない部分」。でもこの根っ子がなければ木は立たない=人物は描けない。
という事だと解釈しております。せっかくなのでこの師匠の表現を拝借いたしまして、
「集中」「開放」について考えてみたいと思います。

「集中」=「五感がついている絵の中にトリップすること」と教わりました。
今あなたはどんな所を歩いて(立って)いますか。何が見えますか。何が聞こえますか。
風はどっちから吹いてまいすか。太陽はどこから射していますか。
何の上を歩いてますか。土ですか。アスファルトですか。
どんなニオイがしますか。それはどこからニオイますか。
今あなたは熱いですか。寒いですか。あなたは今何を考えていますか。
五感から感じる事で何を思っていますか。
人の話を聞いて何を考えていますか(インナーボイス)。
そしてその人物はどんな話し方をし、どんな歩き方をしますか。
これらは稽古中や本番で体現しなければいけない事だと考えます。

次に「開放」。「作家は心をストリップしなければいならない」
「役者は体をストリップしなければならない」と教えられました。
又聞きの話で申し訳ありませんが、ある有名な役者の塾では
裸で演技の稽古をすると聞いた事があります。
もちろん役者は体をストリップするという事は、大切な考え方であるとは思いますが、
もう少し付け加えさせて下さい。

この「開放」を簡単に考えれば「羞恥心」を捨てるとか、
人前で「緊張」しないようにするとか考えますが、
私はこの「羞恥心」も「緊張」も適度には必要だと考えています。

萩本欽一さんが「人前で緊張しないっていう奴は、信用できない」
とおっしゃっていました。私も同じように感じます。
この「開放」については、演じている役者の状態もあるとは思いますが、
役者が役へどうアプローチするか?
そのアプローチの仕方であると私は考えます。
自分が想像しえる範疇に執着しないで、
自分の想像の範疇から外へ飛び出して行く。
その努力を繰り返し行う。それはとても怖い事です。
でも勇気をもって「開放」し、まるでバンジージャンプをするがごとく、
(すみません、私高所恐怖症なもんで)自分の知らない人物になるための努力をする。
想像の枠を超えるので恐怖すら伴い、なかなかアプローチできない。
しかしそこは度胸を決めて「ハーイ! バンジー!」
これこそが「究極の役作り」だと私は考えております。

ここまで長々お付き合い下さり、ありがとうございました。
まだまだ尽きる事はありませんが、ここでいったん終了とさせて頂きます。
人が人を演じる事に「これで終わり」はありません。
これからも演じる事への考察は続けて参ります。
もしご興味がありましたら、お問合せ頂けると幸いです。稽古場でお待ちしております。

 

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